あたしの名前はぱち・パチ美。パチンコに人生をささげて、もう20年弱になるだろうか。
あたしがパチンコを打ち始めたのは「4号機時代」のころで、いわばパチンコが一番アツかった全盛期の時代だ。
とはいえ、4号機時代のはじめ、4.0号機のことは、よく知らない。あたしがパチンコと出会ったころは、パチンコにはじめて「液晶」が用いられたころだから、「4号機時代のはじめの8年間」はパチンコと縁がない日々を過ごしていた。
ギャンブルにはとんと興味がなく、宝くじを買うくらいしかギャンブルと関わりがなかったあたしがパチンコにハマったきっかけは、月並みで恥ずかしいけど、当時の年上の恋人の影響。
当時の恋人は、酒にタバコに女にギャンブルにと、およそ「オトコ」が好きなことは全制覇してるタイプで、あたしとつきあってたころからギャンブルでかなりの借金も抱えていた。
あたしも若かったからね、ちょっと危ない雰囲気の男に弱かったわけ。だから、借金まみれのクズ男くらいがちょうどよかったんだよね。
ま、そんなクズ男だからほかに女つくっていつの間にか捨てられてたんだけど、いま考えると捨てられてよかったなとも思う。
いまどこで何をしてるのか、そもそも生きてるのかもわかんないけど、あたしとパチンコを出会わせることに、あの人の運命があったのかもしれないな。役目を終えたから人生という舞台から退場ってとこだな。
まあ、なんにせよ男がいなくなって、パチンコだけが残った。そんで、あたしの長いパチンコ・パチスロ人生がはじまったわけだ。
パチンコで儲けることができた時代
4号機時代はパチンコで「儲ける」ことができた時代だった。
爆裂AT機の出玉のことをいま思い返すと、本当に異常な時代だったとしか言えない。
それが異常な時代であることを知らずに、あたしも含めて、多くのパチンカーが狂ったようにパチンコにのめりこんでいった。
そこには「時代の意志」のようなものがあって、パチンコ4号機時代は「個人の意志」を飲み込んで、パチンコにひきずりこんでしまうような強烈な魔力があったとあたしは思う。
あたしはさっき、パチンコで「儲ける」ことができた時代、といったけれど、それと同じくらい、パチンコで「破滅する人」が増えた時代だ、ということも言い添えておかないと、フェアではない。
4号機時代のパチンコ打ちに共通していたのは「当たれば取り返せる」という感覚で、「借金をしてでもパチンコを打つ」というタイプのパチンカーが大量に生まれて、そして、自殺していったのも、この時期。
あたしは仕事のストレス発散としての「気晴らし」、ちょっとした「稼ぎ」で充分だったし、「やめどき」をちゃんとつくれるタイプのパチンカーだったから、奇跡的に「破滅」から逃れられただけだった。
パチンコは借金をしてまで打つものではない
パチンコパチスロは借金をしてまで打つもんじゃない、というのがあたしのパチンコに対する基本的な考えだ。
あたしがパチンコに対してこう考えられている理由としては、あたしにパチンコを教えてくれた彼が「反面教師」として影響を与えてくれたことが大きい、というのは確か。
20年近くパチンコを打ってきたにも関わらず、借金を抱えた経験がないということはわれながら立派じゃないか、と思うね。
あたしはパチンコの金のために人にメシをおごらせたこともないし、パチンコで仕事を休んだこともないし、パチンコを打つためにだれかに嘘をついたこともない。
そもそも、人の金を奪ったり、仕事を休んだり、嘘をついてパチンコに行くような人間を、パチンコの台は嫌う。
「パチンコ台が人を嫌う」というスピリチュアルな感覚は、これもまた当時の彼に連れていかれた「デートパチンコ」で隣の台の彼を見ていて学んだことでもある。
あたしのパチンコに対する態度は「正々堂々」「機種ファースト」というもので、「パチンコ台に対して恥ずかしくない日々を送る」という戒律を守ることで、パチンコとの最良の関係を築けている。
「パチンコを打つような人間は、家族を持ってはいけない」ということも時間をかけて理解したから、その後、何人かの男性とお付き合いはしたものの、現在では「機種に身を捧げる独身生活」をつらぬいている。
「パチンコを打つ修道女」……そんな矛盾した存在がもしいるとしたら?
そんなifを現実化して受肉したのが、まさにこの「ぱち・パチ美」ということになるだろうね。
4号機時代終焉後のパチンコ人生
パチンコ4号機時代終焉後もあたしがパチンコを打ち続けてきたのは、「儲けること」よりも「パチンコへの愛」が勝ったからだろう。
パチンコ4号機時代終焉以降、パチンコを打つ人口はどんどん減少している状況がつづいている。
パチンコ人口の減少の原因としては「借金苦による人生の終わり」ということもあるだろうけど、それ以上に「出玉規制で勝てなくなった」ということが最大の原因だろうね。
とりわけ、2019年以降のスペックでパチンコを打つならば、「パチンカーが圧倒的に不利な状態でパチンコを打つ」という打ち方をぜったいに避けられない。
そんななかで、「それでも、パチンコを打つ!」という選択をするためには、ある種の「狂気」か、それか「病気」が必要だとあたしには思われる。
もう勝てないのにそれでも打つのはなぜ?
「勝てないのに打つ」パチンカーのうちの大半は、「病気」で打つのがやめられない、ギャンブル依存症・パチンカスといった人種。
はたから見たら、あたしもギャンブル依存症・パチンカスかもしれないけれど、あたしの場合の「勝てないのに打つ」理由は、「病気」の彼らとはちょっと違う。
そう、あたしが「それでも、パチンコを打つ!」のは、あたしが「パチンコを愛し、パチンコに愛されている」と思いこんでパチンコに通っているタイプの、ストイックな「狂人」だからだ。
もちろん、あたしにも「勝ちたい」という気持ちがまったくないのではない。
勝てばうれしいし脳汁もドバドバ出る。脳汁は最高。「このために生きている!」と感じるのも事実。
ただ、「勝ちたい」という気持ち以上に、あたしは、勝ち負けとは関係なく関係なく「パチンコを打っている時間」を愛しているし、「パチンコに関することはなんでも知っていたい」という好奇心があるタイプなんだよね。
あたしは、「勝てないのに打たないといけない」みたいな状況になっているいまのパチンコ業界とか、「それでもパチンコを打っている人たち」の生態や精神に関心があるし、新しい機種が出ればパチンコでもスロットでも、なんでもひとまずは打ってみたい。
パチンコというカルチャーを通して人間を知る
たぶん、あたしは「パチンコ」というカルチャーを通して「人間」のことを知りたいし、考えていたいのだろう。
あたしの人生は「パチンコ4号機時代」から現在までずっとパチンコと並走してきているわけで、「あたしの歴史」と「パチンコの歴史」の区別はもうそんなにつかなくなってきている。
「パチンコの過去・現在・未来」は「あたしの過去・現在・未来」でもあるわけで、そんなパチンコの現状や今後のことが気になるのは当然ではないかな?
「パチンコ」という場所は「あたし」を拡大する。なぜなら、「「パチンコ」という場所には、多くの人が引き寄せられ、去っていくから。
パチンコについて考えるということは、「あたしのこと」と「あたし以外の多数の人」のことを混合して考えるということでもある。
「人はどうして、もう勝てないのにパチンコを打つのか?」ということは、「あたし本位」で考えていたら「あたしの結論」しか出ない。
だけど、ホールを見渡せば、あたしとは違った考えで「それでも、パチンコを打つ!」という人間がたくさんいる。
彼らがなんでパチンコを打つのかを、観察し、想像し、考えることは、「あたしだけ」であること、自分本位であることからの解放となる。
「パチンコあるゆえに、われあり」というのが真理であって、そこで考えるのは「あたし」の自我じゃなくて、「パチンコ」の自我であって、「パチンコのわれ」は「たくさんのわたし」をふくんでいるんだよね。
あたしは、「パチンコ」というカルチャーを通してそこを見ていきたいんだな、きっと。それでパチンコを打ち続けているってわけだ。
パチンコと自分の衰退期がはじまりつつある
パチンコはいま衰退期にあるし、中年に入って久しいあたしも、これから先はどんどん老い衰えていくばかりだろう。あたしとパチンコの「衰退」は重なっている。
さっき書いたように、パチンコ人口はどんどん減少している。たぶん、パチンコ人口が回復するということは、もうないだろうな、と思う。
もしかすると、パチンコというカルチャー自体がいつのまにかなくなっている可能性もゼロじゃない。
とはいえ、簡単に「パチンコはもう終わりだ」だとか「パチンコは死んだ」みたいなことは言えない。
事実、ヨボヨボ歩きではあれど、パチンコは「まだ生きている」のだし、あたしをふくめ、多数のパチンカーも残っているのだから。
あたしは「パチンコの死」を目撃することになるのか?それとも、要介護状態のパチンコの衰弱を見守り続ける日々のなかで「あたしの死」が先にくるのか?
ほかのパチンカーが何を考えているかはわからないけど、あたしはホールの喧騒に包まれてパチンコを打ちながら、ボンヤリとそんなことを考えているみたいで、あたしはそんな考えに浸っていられる「パチンコを打つ時間」を愛しているらしい。
「パチンコを打つ時間」のなかで、お金も、時間も、あたしもどんどん溶けていって、やがてぐちゃぐちゃに溶けたあたしは、ついにパチンコと自分の区別がつかなくなる。
パチンコとあたしの完全なる合一。愛の完成。
あたしが「ぱち・パチ美」としてパチンコ・パチスロ人生の経験を書くことにしたのは、クズ男という堕天使に導かれてなぜか出会ってしまったパチンコの死を目撃するかもしれない使徒としての役割を感じたからで、そして、今日もあたしはCRエヴァンゲリオンを打ちにいく。